背中

他人に期待をしてはいけない。
それが仕事であるならば、なおさらの事と思う。

仲が良かろうが、人が良かろうが、他人は飽くまで他人であって、
自分ではないことを忘れてはいけない。
口ではもっとなことや、気遣う言葉をかけてくるかもしれないが、
本人のいないところではなにをしているか、考えたことがあるだろうか。
疑ったことはあるだろうか。
信用のおける人、というのはそうそういない。
たいていは上っ面だけの、調子のいい人ばかりでしかない。

本音はなんなのか。
そこを良く考えなければならない。

もっとも、それが遊びであるなら、疑うのは馬鹿馬鹿しいし、くだらない。
遊ぶだけならば、上っ面でもいい。
適当にバカをやって面白おかしく時間を無駄にしていけばいい。


俺が言いたいのは「本当に妥協したくないこと」の話である。


もしも、その人が根幹に原則や基本を叩き込んだ人であるならば、
仕事のパートナーとしてはとりあえずは合格だろう。

それがない人であるならば、仕事のパートナーとしては失格である。
土台ができていない人間との仕事など、悪夢でしかない。


土台があるのであれば、応用は「今」できなくても、「近いうちに」こなせるだろう。
土台がないのであれば、いつまで経っても理不尽なことを押し付けてくるだろう。



もっとも、結果論から言えば話は違うかもしれない。
土台がなくても、付け焼刃でその場をしのぐことはできるかもしれない。
ただ、いかに仕事をリスクを減らしながら遂行するということを考えるのであれば、
ルールを守らない人間とは一緒にいてはいけない。
その人間を即刻自分の傍から外すか、もしくは自分がその場から外れるか、
その二つに一つだろう。


世の中には何を考えてか、環境を非常に閉鎖的にする人間もいる。
あるいは環境に自分を前面に押し出して、自分以外の意見を全て排除しようという、
そういう愚かしい人間もいる。
そして困ったことにそういう人間は自分で作り出した環境が、
実は他人の仕事の遂行を阻んでいることに気がつかない。
自分で他人の足取りを重くしておきながら、他人のことを酷評してくる。
そういう人間とも道を違えなければ、いい仕事などはできないだろう。


逃げるのと、見切りをつけて道を違えるのは意味が違う。
自分がそこそこの結果しか残せない場所であるのであれば、
違う場所を探して次に進まなければ一度きりの人生がもったいない。

もし自分が道を違えた後に理不尽な穴が開いたとしても、
そんなものは気にする必要はない。
その場所にはもともと理不尽な仕組みしかなかったはずだし、
理不尽な空気しか自分には与えられなかったはずなのだから。




仕事に私情は挟んではならない。
仕事は仕事なのである。
人間性が合うのならばそれに越したことはないが、
ルールを忘れているのならば言えば分かる、などと錯覚してはいけない。
ルールをしょっちゅう忘れるなど論外でしかないのだから。
馴れ合いなどを意識して作り上げる必要はないし、世辞などは必要ない。



そこに必要なのは、理詰め、それだけなのである。

できるのか、できないのか、それだけだ。



世の中にはほんの一握りの人しか、自分の背中を預けられる人などいない。
仕事は、遊びではないのだから。
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by ryo-ta-n | 2006-06-18 04:15 | 雑記  

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